渋谷に大勢の人が一気に集まるといえばハロウィンが有名ですが、ただ目的も無く集まりプラプラと歩いているハロウィンとは違って年越しのカウントダウンはイベントとして本当に盛り上がります。 イベントとして行われている以上、人が集まるのは迷惑なことではなく堂々と参加できますよ。 東京の年末年始は多くの人が全国各地に帰省してしまい、なんだか寂しいと思う人もいます。 渋谷の街に繰り出して、賑やかに年越しカウントダウンを楽しんでみましょう。 ここで、数あるカウントダウンイベントの中でもお勧めのイベントをご紹介します。   『TOKYOカウントダウン2020』 渋谷最大級のカウントダウンフェスと銘打ったイベントで、ベルサール渋谷ガーデンで行われます。 国内外の様々なアーティストの音楽と共に年越しを祝い、朝まで楽しみます。 チケットは前売り15000円、当日18000円です。   『WOMB PRESENTS NEW YEAR COUNTDOWN TO 2020」』 日本最大級のクラブとして人気の「WOMB(ウーム)」で開催される年越しカウントダウンイベントです。 今年はフランス出身のテクノアーティストであるアゴリアをゲストに迎え、盛大に年越しを楽しみます。 チケットは前売りが100枚限定で2800円、当日料金は再入場可能のおせち料理付きで男性3500円、女性3000円、入場時刻で料金の変動があります。   『渋谷スクランブル交差点』 スクランブル交差点でのカウントダウンは自然発生的に始まり、混雑やトラブルを防ぐために実行委員会を組織しての公式イベントとして2016年から開催されています。 スクランブル交差点の横断や車両の通行規制、駅前広場に面する改札口や地下出入口も封鎖するなど大掛かりです。 続きを読む
道玄坂は、渋谷駅のハチ公像からスクランブル交差点を渡った目黒方面への上り坂です。 この道玄坂という名前の由来は諸説あり、ひとつは和田義盛の末裔である大和田太郎道玄が盗賊の如く通行人から金品を奪っていたといい、道玄の現れる坂という意味で付けられました。 もうひとつは道玄庵という庵があったという説があります。 道玄坂道供養碑には「大和田太郎道玄がこの坂の傍に道玄庵を造って住んだ。それでこの坂を道玄坂というといわれている」と記されていることから、庵が由来の説が有力と言われています。 住所としては渋谷駅もハチ公像も道玄坂であり、広くこの地域に道玄が影響していたのでしょう。 東京の地名はその土地に由来するものからはじまり、長い歴史の中で何度となく変更されているものが多いのですが、道玄坂は今もそのまま残り、渋谷のシンボル的スポットが多数あります。 道玄坂地区としての歴史は、渋谷の歴史そのものです。 1932年には渋谷町が渋谷区の一部になり、翌1933年には井の頭線が開通しました。 1964年には首都高3号渋谷線が玉川通り上に開通、1965年には道玄坂1丁目に現在の渋谷東急プラザ、1967年には道玄坂2丁目に東急百貨店本店が開店し、繁華街として賑わってきました。 1977年には田園都市線、1978年には半蔵門線が開通し、渋谷駅は東京の要となり多くの若者が集まる街となりました。 続きを読む
いつも渋谷の街を行き交う人々を見守っているハチ公像は、待ち合わせ場所としても人気のシンボル的存在です。 そんな渋谷ハチ公の歴史やエピソードをご紹介します。 秋田犬のハチは毎日主人を仕事に見送り、そして迎えに行くことが日課でした。 ある日主人は仕事先で急死しましたが、ハチはその後も帰らぬ主人を迎えに渋谷駅へ向かう日々でした。 その後ハチは親戚へ預けられたりもしましたが、ヤンチャ故に皆手を余し引き取り先を転々としていました。 最終的には主人の知人宅のある渋谷に戻ってきましたが、主人の死から2年が経ってもなお渋谷駅を訪れ、ハチの自らの死まで9年あまり主人の帰りを待ち続けました。 そんな主人とハチのエピソードに感動した彫刻家によって、ハチの存命中に銅像が制作されました。 制作には多くの寄付金が集まり、1934年4月“忠犬ハチ公像”が渋谷駅前に設置され、盛大に除幕式が行われました。 翌年ハチが死亡した際には、多くの人がハチ公像に集まりました。 後に戦争による金属物資不足から金属類回収令が施行され金属供出が決まりましたが、これを阻止する抗議活動が起こり、撤去して保管ということになりました。 しかし、最終的にはハチ公像は溶解され機関車の部品となってしまいました。 終戦から3年後、彫刻家の子息によって再びハチ公像が制作され、現在の形となりました。 ハチ公像の知名度が上がったのは1980年代あたりで、東急グループのプロモーションによって渋谷駅のランドマークとして確立されました。 続きを読む
渋谷センター街といえば、若者文化の発信地としても有名です。 昨今は若者のみならず、その活気を体感しようと外国人観光客の姿も多く見られるようになりました。 そんな渋谷センター街の歴史を振り返ってみましょう。 渋谷センター街はご存知の通り渋谷区宇田川町にある商店街です。 その宇田川という地名は渋谷川に合流する河川名から由来し、水害の多い地域でした。 そのため、昭和初期には渋谷川下流の沿岸工事などが進み、宇田川は暗渠となり昭和10年代になると飲食店などが並び始め、歓楽街そして繁華街としての街並みが形成されてきました。 昭和30年頃には駅前の区画整理事業が始まり、渋谷に高層ビルが立ち並び商業地区やオフィス街ができ、宇田川地区も近代化され宇田川有楽街と言われていました。 若者が集まるようになった昭和36年頃から、渋谷センター街と呼ばれるようになったと言われています。 その後、昭和39年の東京オリンピックを機に道路の拡張や整備などで渋谷の街並みが一気に変わりました。 渋谷センター街が若者の街として全国区になったのは時代が平成に変わった頃です。 高校生から10代後半の若者が集まってたむろする“チーマー”という存在から始まり、女の子のガングロスタイルから更に発展してヤマンバギャルなど、コギャル文化も様々な移り変わりがありました。 昨今ではスポーツの国際大会の際に多くの人が街に集まって盛り上がったり、ハロウィンや新年のカウントダウンなどでもとにかく沢山の人が集まります。 続きを読む
2020年の東京オリンピック開幕が約1年後に迫ってまいりました。 開催地である東京の街もオリンピックに合わせて様々な変化が見られます。 前回の開催は半世紀前の1964年、その時は東京の街にどんな変化があったのでしょうか。 東京の街でも特に賑わいの多い渋谷の街並みを振り返ってみましょう。 オリンピックを機に国や街が発展するという話はよく耳にしますが、前回のオリンピックでは街並みはもちろん経済や文化も大きな変貌を遂げました。 1964年はまだ戦後復興の真っただ中でしたが、オリンピック開催に向けてインフラ整備などが急ピッチで進みました。 渋谷にあった在米軍住宅は代々木競技場や選手村に建て替えられたことによって占領統治の面影が消え、高速道路の建設や下水道の整備も一気に進みました。 渋谷公会堂は重量上げの会場としてオープンし、後にコンサート会場として活用されました。 ハチ公前広場もオリンピックに向けての整備が行われ、シンボルとなる噴水が作られました。 以前は目立たない場所に設置されていたハチ公像は噴水の後方に移動され、後に誰もが知るスポットとなったのです。 東横線渋谷駅の改良工事もこの頃に行われました。 今の日本では信じられない事ですが、当時の日本はゴミのポイ捨て、ツバやタン吐きが日常の風景でした。 綺麗な状態で世界からお客様を迎えようと美化運動も活発に行われ、今や日本は世界屈指の美しい国、衛生的な国となっています。 あれから半世紀、2020年のオリンピックに向けて渋谷の街は更に開発が進んでいます。 続きを読む
外国人観光客が多く訪れる渋谷、まずはスクランブル交差点で東京の人口密度の高さ、日本人の規律の正しさ、そして大都会東京を体感します。 それだけでも大満足なスポットなのですが、せっかく渋谷まで来たのだから交差点だけではもったいないですよね。 ここで、渋谷で外国人に紹介したいオススメのレジャースポットをご紹介します。 『鍋島松濤公園(なべしましょうとうこうえん)』 江戸時代に紀州徳川家の下屋敷があったエリアで、後に佐賀の鍋島家に払い下げられ茶園として使われていました。 現在は渋谷区が管理しており、池やレトロな水車など、情緒あるのんびりとした公園です。 作り込まれた公園では無い素晴らしさがあり、四季の自然、春には桜も楽しめます。 園内には遊具もありますので、お子様連れにもお勧めです。 『明治神宮』 都内でも有数のパワースポットで、日本人にも人気の場所です。 外国人観光客には神社特有の神秘さを感じられることでしょう。 週末には和装姿で結婚式を挙げるカップルを見られるチャンスも多くあります。 参拝はもちろん絵馬やおみくじなども体験してみると良いでしょう。 『VR PARK TOKYO』 VRを使ったゲーム、アトラクションを存分に楽しめるアミューズメントパークです。 最先端のVRを体験してみましょう。 現在は7種類のアトラクションがあり、80分遊び放題です。 時間で区切った完全入れ替え制のシステムのため、満員の場合はそれ以降の入場となります。 余裕を持って計画できるなら事前予約をお勧めします。 続きを読む
この度姉妹店のバンコクスパイス新宿店が本場と同じ味のタイ料理を提供するお店として、タイセレクトというタイ国商務省の運営する機関に選んで頂きました!タイガーデンもタイセレクトに選ばれるよう、更に磨きをかけていきたいと思います! 続きを読む
平成の30年間は世の中が良くも悪くも変化の大きい時代でした。 負の面も多かったですが、どの時代も若者から様々なブームが生まれ、世を動かしてきました。 今や世界的にも有名になった東京渋谷、ここで今年成人を迎えた人たちが生まれた20年前の渋谷の若者文化、そして今の渋谷に集う若者を比べてみましょう。 2000年前後といえばバブル崩壊後の苦しい時代ではありましたが、若者は元気で流行を発信し続けました。 「渋谷109」を中心にギャルと言われる中高生の女の子たちで賑わい始めたのがこの頃です。 特にアムラーと呼ばれる日焼けにロングヘア、ミニスカートに厚底サンダルを履いたギャルたちが沢山いました。 後にその健康的な日焼けではなく度を超えた黒さのガングロギャルが流行り、更にメイクもド派手になってヤマンバと呼ばれるギャルたちが渋谷に集っていました。 一方、男の子はスノーボードが流行していたこともありスノーボードブランドやスポーツ系ブランドのファッションが流行しました。 そして昨今の渋谷といえば駅周辺の再開発も進み、ギャルブームも収束して普段はちょっと落ち着いた街になりつつあります。 もちろん若者文化発信の地であることに変わりはないですし、外国人にも人気で賑わいは以前よりも増しているようです。 イベントごとにドッと若者がどこからともなく集結することが多く、サッカーのワールドカップやハロウィン、新年のカウントダウンなど、年々盛り上がりが増しており、社会問題になりつつあります。 続きを読む
外国人観光客も多く訪れる、賑わい自体が東京のひとつの景色として世界的に認知されている渋谷の風景、その中心である渋谷駅の新しい駅ビルが“渋谷スクランブルスクエア”として2019年秋に開業します。 渋谷スクランブルスクエアは地上230メートルの高さで渋谷では一番の高さの高層ビルとなり、まさにシンボル的存在となります。 今回は東館の開業、2027年には第二期として中央棟と西棟が完成予定で、合わせるととても大規模な複合施設となります。 どんどん変化していく渋谷ですが、渋谷が発展するきっかけとなったのはやはり渋谷駅です。 現JR山手線渋谷駅が開業したのは1885(明治18)年、もちろん最初から利用客が多かったわけではありませんが少しずつ賑わってきました。 明治の後期には複数の路線が渋谷駅に集まり始め、昭和に入ると現東急横線や現東京メトロ銀座線が乗り入れし、更に賑わいが増しました。 1934(昭和9)年には今でいう駅ビル、関東では初の私鉄直営のターミナルデパート“東横百貨店”が開業し、東横線の駅舎はその2階に含まれていました。 その後、まだ記憶に新しい“東急百貨店”として営業し、2013(平成25)年に営業を終了しました。 そして“渋谷駅周辺開発プロジェクト”として新しい駅ビルである渋谷スクランブルスクエアが2019年に開業します。 この大規模再開発によって渋谷の景色が大きく変わるとされ、賑わいはもちろん利便性も良くなります。 続きを読む